人間の究極の幸せは次の4つ。
人に愛されること。
人にほめられること。
人の役に立つこと。
人から必要とされること。
「障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです。」と話してます。
働くと言うことは、まず第一義、自分自身で自分の身を立てるすべを得ることが出来る、要するに生活が出来る、という事なのだと思うのです。
日々の糧を得ることが出来、自分が社会の一員であることを感じる、そこが出発点なんだと思うのですね。
最近、「ニート・引きこもり」の取材をされている方と話す機会がありました。引きこもりの人たちの中には非常に優秀な成績で大学・大学院まで出ている人もいるそうなのです。で、彼らが一様に言うのは「自分のやりたい仕事ではない」「誰でも出来る仕事だから自分がやる必要はない」「やりがいがない」という言葉らしいのです。
取材をしていた人は、20代の作家の人と話す機会があり、そのことを言うと、「私達は、仕事に対して、人には出来ない仕事、やりがい、というものを持ちなさいとずっと教育されてきたから、それはすごく判る」と言われたのだそうです。
なるほどなあ、と、それはすごくあるかも、と思ったのです。日本はまだまだ裕福な国で、何でも良いから働かないと死んでしまうという切迫感もないでしょうし、人と違うと打たれるのに、人と違うことの出来る職業に就けといわれて、どうしたらいいのかと混乱しているのかも・・・と。
すごくシンプルに考えればいいと思うのですよね。まず日々の糧を得るために何らかの活動をする、というのが、大人としての務めではないかと。仕事は何かしら、人から必要とされることなので、やりがいや生きがいは日々の積み重ねから生まれてくると思うのです。何も、作家や、有名なスポーツ選手や、研究者にならなくても良くて。
子どもたちも大きくなる過程で、いろんなことを悩むんだと思いますが・・・悩むのももちろん道筋なのでそれはありなのですが、うっかり変な方向に逸れないように、ちゃんと見ていければなあと思います。
昔は、すごく具体的なことで悩んでたのに、最近の悩みはすっかり抽象的(><)。でも、「子どもを見る」という観点では変わらないかもしれないですね。最近出来てないですが




子どもが大きくなったら、子ども自身もこういう思いを抱くようになるんでしょうかね。その時にいろんなことを話してやれるようでないと・・・ そんなことを考えました。「やりたいことをやりなさい」「何でもいい、役に立つことをやりなさい」両方をきちんと伝えていきたいな。
おっしゃるとおり、きっちり対応して話が出来るようでいたいですね。どうして働かなきゃいけないの?という質問が、ニートの方からは出るらしいですが、それは、どう生きるかという事につながる、大きな問題なんだと思います・・・。
自分も、今の自分の姿が昔思い描いていたものかと言われれば、違う点も多々ありますが、まずは自分と家族が生活できなければという大前提があります。
一社会人として、まずは何でもいいから働きなさいと思うのですが、そいうことを言うと「ニートを責めている」という反論が多い最近の風潮は違和感を覚えます。
をを、懐かしい、田島陽子さんの名前。元気な方でしたねえ。で、その言葉は非常に共感できますね、確かに。
そうなのです、なんとなく生きていけちゃうんですよね、現代って。ですが、自分の子どもがニートになったら追い出す勇気があるかと問われると、そのときに自分がどう感じるのか悩んでしまうわけですが・・・。(いやいや、そんなことではだめですね!)
まことにありがとうございました。
「働く幸せ公式ブログ」(http://ameblo.jp/hatarakushiawase/)にて、
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お礼の文面を掲載させていただきました。
ご覧いただけますと幸いです。
これからも、応援していただけるような出版活動に全力で取り組んでまいります。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。